カフェ店内の内装

【コラム】静岡における抹茶カフェとしての存在意義とは

こんにちは!
店長のたかひこです。

今回からHPのブログではカフェについて私の考えていることを綴(つづ)るコラムも投稿するようにしていこうと思います。

初回となる今回の内容は『静岡で抹茶カフェを経営する』ということの意義について私なりの考えを述べていきますので、どうぞ最後までお付き合いください☺

まず、本題に入る前に皆さんにとって”カフェ”とはどういった場所ですか?

『友達とゆっくりと話せる場所』『おいしいコーヒーが飲める場所』『おいしいお茶が飲める場所』など、様々な認識があると思います。

その認識に正解不正解はありませんが、皆さんにとってのカフェ像が千差万別であるように、それぞれのカフェ店主が思うカフェ像も十人十色といえます。

そして、そのお客様にとってのカフェ像と、カフェ店主の思うカフェ像が近い時『いいお店だ!』と認識され使っていただけて、カフェとしても『まさしく来てほしかったお客様だ!』となるわけですよね。

そんなカフェ像の認識の話を導入にしたのは、私たちが営む『オーガニック抹茶カフェ 和み』というカフェは『静岡で生産されたオーガニック抹茶を使ったラテやスイーツを中心に提供する、レトロモダンな落ち着いた空間のカフェ』という認識で営んでいて、皆さんにとっての私たちに寄せるイメージがどんなものなのかな?ということを考えてもらうきっかけになれば、と思ってのことでした。

さて、そんな認識の話からつながり、私たちが『静岡で抹茶カフェをやる』ということの意義や意図についてお話していきます。

静岡における『お茶』の認識は『おいしくていつも手軽に手に入って、どこでも安価に楽しめるもの』という認識が多いのではないでしょうか?

事実、静岡市にお住まいの方の話を聞いていると知り合いの農家さんや問屋さんからお茶のおすそ分けをもらうから、お茶は『タダ』というイメージもある、とのことでした。(もちろん一部だと理解しております)

そして、福岡出身である私も『静岡=お茶の名産地』という認識が大学進学時に最も強かったことをはっきりと覚えています。

その時に感じたギャップは『お茶どころなのに、お茶を専門的に出しているお店は少ない』ということでした。(後々思い返すと問屋さんは多かったのですが、お茶を『飲む』場所が少なかったということでした)

さて、そんな昔話を踏まえて、では、結論としての『静岡で抹茶カフェをやるということの意義』について話して終わります。

結論『静岡の名産品としてのお茶を抹茶という認識まで広げ、お茶を求め静岡に来る観光客の方々の思い出作りの一員になり外向きに魅力を発信していくこと』です。

静岡という魅力ある土地において、その主力ともいえる『お茶』の楽しみ方はより多様で、自由であっていいと思います。

『おいしいお茶』だからこそできる『遊び』や『発想』のもと、抹茶カフェとしての自由な発想に基づいた提案をしていきたいと思っています。

もちろん、チャレンジには失敗がつきものです。しかし、失敗を避け続けた先にあるのは成功ではなく『無功』です。

私が地元を離れ8年、これまで挑み続けた来たものは多々ありますが、この『抹茶』という素材とそこに至るまでの生産者さんの努力を様々なアレンジを加え、チャレンジしていく、という姿勢をカフェとして示し続ける、ということに本当の意義があるのかもしれません。

今回も最後までご精読いただきありがとうございました。

これからもブログの更新も一生懸命やってまいりますので、少しでも読んでくださる方がいますと幸いです。

また次回のブログでお会いしましょう。

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